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マリア・アマーリア・フォン・ザクセン (1757-1831) : ミニ英和和英辞書
マリア・アマーリア・フォン・ザクセン (1757-1831)[ひゃくななじゅうご]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

マリア・アマーリア・フォン・ザクセン (1757-1831) : ウィキペディア日本語版
マリア・アマーリア・フォン・ザクセン (1757-1831)[ひゃくななじゅうご]

マリア・アマーリア・フォン・ザクセンMaria Amalia von Sachsen, 1757年9月26日 ドレスデン - 1831年4月20日 ノイブルク・アン・デア・ドナウ)は、ドイツザクセン選帝侯家の公女で、プファルツ=ツヴァイブリュッケンカール・アウグストの妻。全名はマリア・アマーリア・アンナ・ヨゼフィーナ・アントニア・ユスティーナ・アウグスタ・クサヴェリア・アロイジア・ヨハンナ・ネポムツェーナ・マグダレーナ・ヴァルプルギス・カタリーナ(''Maria Amalia Anna Josephina Antonia Justina Augusta Xaveria Aloysia Johanna Nepomucena Magdalena Walpurgis Katharina von Sachsen'')。
ザクセン選帝侯フリードリヒ・クリスティアンとその妻で神聖ローマ皇帝(バイエルン選帝侯カール7世アルブレヒトの娘であるマリア・アントーニアの間の第6子、長女として生まれた。1774年2月12日にドレスデンにおいて、カール・アウグストと結婚した。アマーリアの兄の選帝侯フリードリヒ・アウグスト3世が1769年にカール・アウグストの妹アマーリエと結婚しており、これは両家を結びつける二重の縁組であった。夫妻はノイブルク城(Schloss Neuburg)を住まいとした。
1794年に夫の伯母エリーザベト・アウグステが亡くなると、聖エリーザベト貴婦人会(St. Elisabethenorden)の団長職を引き継いた。さらに夫と死別後の1798年にはミュンヘンの聖アンナ貴婦人会修道院(Damenstiftskirche St. Anna)の修道院長となった。アマーリアの修道院長在任中、同修道院では義弟のバイエルン王マクシミリアン1世の命令によって数次にわたり修道院改革が実行されている。1831年に死去し、遺骸はノイブルクの宮廷教会に葬られている。
== 子女 ==
夫との間に息子を1人もうけたが、夭折した。
*カール・アウグスト・フリードリヒ(1776年 - 1784年)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マリア・アマーリア・フォン・ザクセン (1757-1831)」の詳細全文を読む




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